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ペット

ペットの介護生活・死からペットロスと向き合うまで

今年に入って、老犬介護についての記事をいくつか書いていましたが、その最後の記事を書いた1週間後に飼っていた柴犬のももがなくなりました。

四十九日も過ぎて、ようやくひと区切りとなり、こうして振り返ってブログに書くことができるまでになりました。

私は、実際にペットの死に直面したことが初めてでした。
いずれ訪れることとは思いつつ、想像するのと実際に直面するのとでは、まるで次元の違うことでした。

今回は、ももの介護時のこと、死に直面した時のこと、その後のペットロスについて書きたいと思います。

7カ月続いた介護生活

ももは、15歳の誕生日を過ぎてから調子が悪くなり、悪化と小康状態を繰り返しながら、約7カ月は何かしらの補助をしないと過ごせない介護状態になりました。

それまでは、大きな病気のない健康な子だったので、介護生活は戸惑いの連続でした。
ももにとって何が良いのか、どうしたら快適に過ごせるかを考え、試行錯誤の繰り返しでした。

詳しくは別ページで書きましたのでそちらをご覧ください。

生活サイクルが大きく変わり、ももの介護が生活のかなりの部分を占めるようになりました。
毎日の介護ルーティーンもどんどん増えていき、長時間の外出もできなくなりました。
介護生活は先が見えず、いつまで続くかわからない不安がつきまとい、精神的にも追い詰められました。

正直なところ、介護がうまくいかず、ももに対して苛立ったり怒ったりすることも度々ありました。
そしてその度に、飼い主として失格だと自分を責めました。

そんなことが色々あっても、ももは、たまらなく愛おしい存在でした。
元気な時に比べると痩せ細ってしまい、うまく歩くこともできなくなっていましたが、どんな姿であっても可愛さに変わりはありません。
補助ベルトをつけて散歩に出れば、「かわいそうに」「がんばって」などと声をかけられるような辛そうな姿…。
他の人には哀れな状態にしか映らないのだと思いますが、飼い主にとっては何をしても可愛いんです。

子犬の頃、元気な若犬の頃、壮犬の頃、そして介護状態の老犬になっても、どんな時でもその時々の可愛さにあふれています。
老犬には老犬にしかない可愛さがあるんです。

若い頃は、暴れん坊で、抱っこも大嫌いなツンデレ犬でしたが、老犬になると大きく変わりました。
一番嬉しかったのは、抱っこが好きになったこと、甘えてくれるようになったことです。
というよりも、動けなくなって不安になったから自ずとそうなったともいえますが…。

今振り返れば、私たちなりの精一杯の介護ができたと思っています。
もちろん、もっとできたことがあったんじゃないかと後悔することはいくつもありますが、それはどんなに最善を尽くしても必ず出てくるものだと思います。
辛いことも多かったですが、介護生活の間は、もしかしたらももと一番濃密に接することができた時期でもあったんじゃないかと思っています。

悲しいことに、犬というのは衰えが見え始めると、加速度的に状態が悪化していくことが多いようです。
最後の2カ月ほどは、ほとんど寝たきりの状態になってしまいました。
最終的にはシリンジでの流動食も受け付けなくなり、その3日後に亡くなりました。

亡くなった当日のこと

ももが亡くなる1週間前、間の悪いことに、夫婦ともにコロナに罹ってしまい、介護もままならない状態でした(何とかこなしてはいましたが)。
そして、もも自身も元気がなくなっており、シリンジでの流動食も受けつけなくなりました。
良い匂いのする「ちゅーる」などを混ぜてみたりして何とか食べてもらえるように色々工夫してもダメでした。

ほとんど食べることができなくなって3日後のことでした。
私のほうは、コロナの症状が何とか落ち着いてはきていたものの、まだ頭痛やだるさが残っていて、横になっていることが多い状態でした。
ももは、食べなかったため体が弱っていたせいか、亡くなる前の2日間くらいは夜泣きも動きも少なくなっていましたが、当日は、なぜか1時間ごとに大声で吠えていました。
私は、まだ体が本調子ではなく寝ていたかったのに、ももの吠え声に何度も起こされ全く眠れなかったので、「何で寝る邪魔ばっかりするの!」と怒ってしまいました。これについては、今でも後悔しています。

そんな状態で、その日は正午過ぎから1時間ごとに吠えていましたが、私の体調が悪かったことも災いして、容態をしっかり確認できていませんでした。
吠える元気はあるので大丈夫だと、どこかで思い込んでいました。

そうして時間が過ぎていき、15時50分くらいに手足をバタバタと動かして落ち着かない様子だったので、ソファで横になっていた私は、気になって様子を見に行きました。
ももは、ソファの近くに床ずれ防止のケアマットを敷いて寝かせていました。
近くで見ると、明らかに様子がおかしいのがわかり、少し抱き上げると、そのままだらんと首が座らず上半身が垂れ下がりました。
私はびっくりして叫んでしまいました。今までにないような力のない動き方をしたため驚いたのです。
そして、目を見開いたまま、見たことがないほど口を大きく開けてもがくような呼吸を始めました。
これは、後で調べてわかったことですが、「下顎呼吸」というものだったようです。
この呼吸が始まると、もう死期が迫っていることを示すようです。
そんな知識もなかった私は、ただオロオロして泣きながら見守ることしかできませんでした。
そして5回ほど口を開閉して呼吸を繰り返した後、10分後の16時には亡くなってしまいました。
あまりにも急であっけない最期でした。

その日、何度も吠えていたのは、きっと私に「体が苦しい、助けて!」と伝えようとしていたんだと思います。
それに気づくどころか怒ってしまった自分を後々ずっと責め続けました。

当日の異常にもっと早く気づいていれば、病院に連れていくなどの対応ができたかもしれないし、それがダメでもせめて夫に早く帰ってきてもらい、一緒に看取ることはできたのではないかと、何度も当日の自分の行動を振り返って悔やんでばかりの日が続きました。

唯一の救いは、最期の瞬間に、私一人だけであっても腕に抱きとめて、ももに寂しい思いをさせずに看取ることができたことです。

亡くなった直後から出棺までが一番辛かった

亡くなった直後から翌日まで

ももが亡くなった直後、すぐに夫に連絡をして、仕事を切り上げて早めに帰るようにお願いしました。

急変して10分で亡くなってしまったので、心が全く追いついていませんでした。
日の陰ってきた夕方に一人でももの亡骸といるのは、いたたまれない気持ちでした。

実感のわかない呆然とした気持ちがある一方で、ゾッとするほど深い悲しみが押し寄せてきました。
胸をかきむしりたくなるような、じっとしていると呼吸ができないような息苦しさが込み上げてきました。
あまりに苦しくて、外に出て叫びながらどこまでも走っていきたい気持ちになりました。それくらいじっとしているのが辛かったです。

そんな辛い中でも、亡くなった時のままのももを、葬儀に向けて色々と整えなければいけません。
オムツを外し、体を綺麗に拭き取ってももを撫でていると、胸が張り裂けそうになりました。
ももに「苦しかったのに気づいてあげられなくてごめんね」と何度も呼びかけながら号泣し続けました。

1時間後、夫が仕事を途中で切り上げて帰ってきました。
そして、夫がももを撫でながら号泣している後ろ姿を見て、私も再度号泣しました。

その後、葬儀の予約をしたり、一緒に火葬する思い出のものなどをかき集め、亡骸とその周りを綺麗に飾って整えました。
葬儀までは1日以上猶予があり、7月当時は異常気象で猛暑だったため、すぐさま保冷に取り掛かりました。
ももを、縁のあるベッドに寝かせて、保冷剤を体の下に敷き詰め、さらにタオルをかけた上からも敷き詰めました。
そんな状態なので、ももに寄り添ってずっと頬擦りしていたかったのにできませんでした。
それでもどうしても顔を見て撫でたくて、何度も顔の部分だけタオルから出して、顔や鼻をくっつけました。
特にももの冷たい湿った鼻が大好きだったので。

火葬は、亡くなった翌日も予約は可能だったのですが、それではあまりにも急だということで、翌々日に決めました。
このように、お別れの時間を十分にとったことは良かったと思っています。

亡くなった日の夜は、ほとんど眠れませんでした。
そして、亡くなった直後から出棺まで、ほとんどの間、泣いていた気がします。コップ1杯分くらいの涙が出たのではないかと思うくらいです。
目を拭いすぎて瞼がただれてしまいました。

翌日は数時間の外出予定があったので、ももの亡骸をしっかり保冷し、クーラーをの設定温度を極限まで下げて出かけました。
亡くなってからずっと家にいたので、短時間の外出でしたが外の空気を吸って、若干気分を落ち着けることができました。
この気分転換があったことでお別れまでの気持ちが少しだけ整理できた気がします。
お別れまでの間、ひたすらそばにいると気持ちが参ってしまうので、散歩でも何でもいいので気分転換をする時間は必要だと思いました。
帰りに出棺時に添える花を買って帰りました。

葬儀の前日の夜もほとんど眠れませんでした。
いつもは別室で寝ている夫も眠れなかったようで、その日は一緒にそばで寝て、朝までももの思い出話をしながら2人して泣いていました。
その間も、夜中に何度も起き出して、ももの顔に頬擦りしにいきました。

葬儀当日

葬儀当日は、眠れなかったこともあり5時頃には起き出し、最終的なももの身の回りの整理をしました。
そして、我が家での最後のお別れの時間を過ごしました。

葬儀社は、車で10分ほどのところにあったので、葬儀の始まる10時に間に合うように9時半頃に出かける準備をしました。
外は猛烈な暑さだったので、車の移動から葬儀社への搬入まで、とにかく保冷に気を遣いました。
保冷剤が思いのほか重かったので、2人での移動は結構大変でした。

葬儀はディアペットさんにお願いしました。近くにあったということと、ペットの葬儀や仏具関連で全国的に有名な会社だったからです。
電話での相談から始まり、すべて本当にスムーズに丁寧に対応していただきました。こちらの気持ちがボロボロだったので、温かい対応が心に沁みました。

葬儀場は、こじんまりとしていましたが、清潔で居心地の良い場所でした。
そこで亡骸の周りに飾りつけなどをしたり、家族だけでじっくりお別れする時間をとってくれて、納得のいく形で進めていただけました。

こちらの葬儀場は、火葬場が少し離れたところ(300mくらい?)にあり、火葬の火入れまでは見届けることはできず、ももだけを載せた車が火葬場まで移動することになります。つまり車が発車するときが最後のお別れということになりました。
その車の後ろの荷台に大事に載せられたももとの最後のお別れの時は、私が生きてきたなかで、間違いなく一番悲しい瞬間でした。
最後に何度も、ももの顔を撫でてキスしました。もう二度と、このモフモフの可愛いももに触ることはできないんだという現実が辛すぎて耐えきれませんでした。
そして、その場で崩れ落ちてしまい、立っていられなくなりました。
夫に支えられ、ようやく立っている状態で、嗚咽がしばらく止まりませんでした。
自分でも、このような悲しみがこの後も続くのであれば、はたして耐えれられるのか、その時は全く自信が持てませんでした。

約2時間後に、火葬が済み、お骨を骨壷に収める作業が始まりました。
葬儀場には、すでにももの遺骨が標本のように綺麗に並べられていました。そして、スタッフの方が、骨の部位について細かく説明してくださいました。
意外だったのは、遺骨を見るとさらに悲しみが込み上げてくるのかと思っていたのが、そうではなかったことです。
なぜか、冷静に淡々と遺骨をお箸で骨壷に入れていくことができていました。
骨になったことで心に区切りがついたのか、ももが物質化した気がしたのか、よくわかりませんが、出棺時の悲しみとは少し異質な気持ちが生まれてきたのは確かでした。
こうしてお骨を収める作業というのは、悲しみに区切りをつけるきっかけになる大事な行事なのではないかと、初めて理解した気がしました。

ペットロスを乗り越えるためにやってみたこと

こうして葬儀を済ませたわけですが、これですぐに気持ちがきれいに切り替えられるわけもありません。

ただ、先ほど書いたように、私の場合は、出棺の時が悲しみのピークでした。
人によって悲しみのバイオリズムは随分違いがあると思いますが、私の悲しみ方はかなり極端で、亡くなった直後が一番酷く、夫が心配になるほどの憔悴状態でした。
その分、その後の気持ちの整理は比較的早くできていった気がします。
一方で、夫の方は、私ほど劇的ではないものの、悲しみのピークがかなり長期間にわたって続いたようです。それはそれで同様に辛いことだと思います。

いずれにしても、葬儀後の1週間ほどは、かなり精神的にも肉体的にも辛い日が続きました。
睡眠障害が続き、なぜか暗闇が怖く、電気をつけたまま寝ていました。暗闇にいると、どこまでも深い闇に吸い込まれそうな気がしたのです。
ももの介護で完全に昼夜逆転していたので、それを矯正するのにも時間がかかりました。

そして、葬儀の翌日から、1日のスケジュールがゴロリと変わりました。
あまりにも長い間、ももの介護ルーティーンが生活に細かく組み込まれていたために、それがすっぽり無くなってしまったことの喪失感は想像以上でした。
ももの介護生活では、長時間の外出はできない、自由時間がない、まとまった睡眠時間がとれないなど、生活にかなり制限があったので、早く解放されたいという気持ちがあったのも事実です。
ところが、実際に解放されてみると、解放感なんて全くありませんでした。
解放感がないどころか、何をやる気力もなくなっていました。
そうなってみて、ももの介護をしていることに精神的に依存していた自分に気づきました。
大袈裟かもしれませんが、介護をしている自分に存在理由を求めていたような気がします。ももと私は共依存だったのかもしれません。

こうしてペットロスと向き合う日々が始まり、精神的な紆余曲折を経て、現在は、やっと冷静に振り返ることができるようになってきました。
そこで、ペットロスを緩やかに乗り越えていくために、これまでにやってきたこと、考えたことをまとめてみました。

介護は十分できたと納得する

私たちが、ももにとって最善の介護ができていたのかはわかりません。
細かいことをあげれば、いくつも後悔する部分はあります。
何が正解かは人それぞれ意見があると思いますし、私たちの介護の仕方に批判的な考えを持つ人もいるかもしれません。
それでも、多少独りよがりで勝手なことかもしれませんが、自分たちなりの精一杯の介護ができたと納得することはとても大切だと思います。

また、介護で悩んでいる最中の方々にとっては、先の見えない苦しいことも多いかと思いますが、介護期間があるということは、とても幸せなことだと今では思えます。
7カ月という長い介護生活は、ももへの恩返しの期間であったと同時に、少しずつお別れをする心の準備期間にもなったと思っています。
介護期間がなく、急に亡くなってしまっていたら、ペットロスはもっと苦しいものになっていた気がします。

お別れと供養は納得のいくようにしっかりやる

ペットが亡くなってから、火葬までのお別れの時間は十分にとることは、とても大事だと思いました。
心の準備や納得ができていないまま火葬してしまうと、後々ペットロスが悪化することもあるらしいので、亡くなってから少なくとも24時間以上はとることをおすすめしたいです。
最後に亡骸に寄り添って、撫でたり話しかけたりして過ごす時間というのは、本当に貴重で二度と取り返せません。

そして、信頼できる葬儀社を選んで、ペットのためにできるだけ良い形での葬儀をし、納得のいく供養をしっかりすることが、心の整理を始める上でとても重要になると思いました。
私は特に信心深いわけでもありませんが、葬儀は宗教的な儀式というだけでなく、精神的な区切りをつけるために欠かせないものだと改めて実感しました。

悲しみを抑え込んで我慢しない

ペットロスに限ったことではないかもしれませんが、悲しいときに、そこから目を背けたり、我慢したりして気持ちを抑制するのは逆効果なのではないかと思います。
気持ちを抑制してしまうことが、かえって後々の精神状態を悪化させて長引かせてしまう気がします。

私は、ももが亡くなった直後から1週間ほどは、精神状態はどん底に陥り、さらに底を掘るくらいの勢いでした。
とにかく気持ちを抑制することなく(というか抑制できなかったのですが)、ひたすら悲しみました。
言い方がおかしいかもしれませんが、気が済むまで徹底して悲しんだから、気持ちの回復も比較的早くできたような気がします。
もちろん、未だに悲しみは続いていますが、暗いトンネルからは抜け出したと思っています。

遺品は無理に捨てない

亡くなったペットの遺品は、部屋中にたくさんあると思います。
気持ちの整理をするためには、遺品を捨てなければ前に進めないのではないかと思ってしまう人もいるようですが、そんなことはないと思います。
我が家の場合は、介護生活に入った時点で、不要になってしまったものはかなり処分していてシンプルな状態になっていましたが、亡くなった時点での遺品は、ほとんど捨てずに残していました。整理が苦手というのもありますが…。

でも、遺品が全くなくなってしまうと、思い出に浸ることも難しくなってしまいます
私は時々、思い出のおもちゃや身につけていたバンダナなどを触ったりして、しみじみしています。
首輪を持って、ももと一緒に散歩する気分で思い出の道たどったりすることもあります。
そういうことも、思いのほか癒されるものです。

思い出の品があることで辛い気持ちになることもあるかもしれませんが、そういう気持ちも含めて思い出してあげることも供養になるんじゃないかと思います。
ある程度の時期が過ぎて、自然に気持ちが切り替わる時点で徐々に整理したり処分したりすればいいと思います。

楽しい思い出を話し合ったり写真や動画を見返す

遺品のことにも通じることだと思いますが、思い出の写真や動画を見返すことも、思いのほか癒しになります

亡くなる前は、きっと辛くて見れないんじゃないかと思っていましたが、実際には全く逆でした。
子犬の頃から、動画はかなり撮り溜めたものがあったので、それを最初からみていき、特に可愛かったところを繰り返し見て癒されています。

介護の後に亡くなると、どうしても辛そうだった姿が強く印象に残ってしまっているので、楽しかったことや笑わせてくれたことなどを、写真や動画を見ながら家族と話し合ったりすることもペットロスを和らげるのにとても効果的でした。

インスタにも可愛いと思った写真をあげてみたりしました。
SNSで紹介したりすると、同じような経験のある人たちが、温かい言葉をかけてくれたり励ましてくれたりして、心の支えになりました。

家族でもSNSでも友人でもいいので、辛い気持ちを共有したり、楽しい思い出話をしたりして、気持ちを解放するのも大切なことだと思いました。

取り急ぎ何でもいいので没頭できることをやってみる

介護生活から急に生活パターンが変わることも、ペットロスの大きな要因になります。

私の場合は、セミリタイア生活に入った直後にももの介護生活に突入したため、介護が仕事の代わりのようになっていました。
そのため、なおさら喪失感は大きく、途方に暮れていました。
悲しみが深過ぎて、新しいことを始める気力もありませんでしたが、だからといって家に引きこもって、もものいない空白を見つめていては精神的どんどん悪い状況になってしまうと直感しました。

そこで、何も考えず気張らずにできることはないかと、引っ張り出してきたのが近所のスポーツジムに通うことでした。
どこかへ出かけるにしても、どこへいくか考えたりスケジュールを立てたりする気力がありませんでしたので、これは良い方法でした。
とにかく、喪失感に向き合う時間を減らし、手っ取り早く無心になって気分転換できる場所としてはピッタリでした。

ももの葬儀を終えて2日後にはスポーツジムの会員になって、毎日通い始めました。
すぐにでも何とかしないと、どうにもならないほど追い詰められていたんです。
結果として、毎日無理にでもジムに行き、筋トレやエアロビなどに半日没頭する生活をすることで、精神的にかなり救われたと思います。
私は、スポーツとは無縁でむしろ苦手だったのですが、今でも楽しく継続しています。
もしこれをやっていなかったら、ペットロスは重症化していたと確信しています。

気落ちして何もする気力がなくても、取り急ぎ何でもいいので没頭できることをやってみるのは効果的だと思います。
精神的に負担がなく、気軽に無理せずできることがいいと思います。

子犬をお迎えすることを考えてみる

先代犬が亡くなった後、新しい子犬をお迎えすることは、どうしても罪悪感を感じてしまう人は多いと思います。
物のように代わりがあればいいのか、と批判する人もいるかもしれません。

私自身も、もし子犬をお迎えすることになれば、同じように感じるかもしれません。
でも、私たちなりに、ももに精一杯の愛情を注いだことは確かですし、その思い出は消えることはなく、ももが唯一無二の存在であることに変わりはありません。
新しい子犬が、ももの代わりには当然なりません。
そうであっても、犬との生活が当たり前のようになって長い年月が経っていれば、やはりその生活を再び始めたいというのは必然だと思います。
よくいわれるように、やはり犬を失った悲しみには、犬をお迎えすることが一番の治療になるのかもしれません。

これに関しては、本当に人それぞれですので、よく考えた末での決断であれば、きっと良い方向に向かうと思います。

ペットロスとは長く付き合っていくしかない

このように、ももを亡くしてから、ペットロスを乗り越えようと、色々なことを考えたり、やってみたりしました。
でも、どう頑張っても、悲しみや喪失感はゼロにすることはできません。

少しずつ回数が減っていくことはあっても、毎日ふとしたことでももを思い出して泣いてしまうことがあります。
一方で、思い出すだけで涙が出てこないことも増えてきます。おかしなもので、それはそれで寂しいのです。
こうして、自分でも気づかないくらいの心の変化が少しずつ起きていき、回復していくものなのでしょうね。

ペットロスは、乗り越えようとするのでなく長く付き合っていくものだと思えるようになりました。

無理せず気長に、ももの思い出も大切にしつつ、日々の生活を取り戻していこうと思います。


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