※当ブログのリンクには広告が含まれています

セミリタイア

50代の子なし主婦が振り返る子どもを持てなかった理由

私は52歳で、突如リタイア生活に入りました。

新卒から52歳まで、短期間のブランクを除いて、ほぼフルタイムで働いてきました。
それができたのも、子どもがいなかったことが大きいと思います。

そして、子どものいない50代になってしまったわけですが、これまでのいきさつや悩んだこと、現在はどう考えているかなどについて書きたいと思います。

適齢期に結婚したものの仕事はうまくいかず…

大学卒業時は、ちょうどバブル崩壊元年ともいえる年だったこともあり、就職活動は失敗し、結果として不安定な1年更新の仕事を始めました。
それでも、やりがいのある専門的な仕事だったので、なんとか頑張ってはいましたが、次第に自分には向いていないと確信するようになり、精神的に追い詰められていきました。
5年ほど続けたのち、結婚とそれに伴う引っ越しを機にその仕事とはキッパリ縁を切ることに決めました。
その時点で、すでに20代も終わりに近づいていました。

住み慣れたところを離れ、それまでの職種とは全く異なる仕事で就職活動したため、かなり難航しました。
さらに、当時は結婚していたことも就職活動でのハードルになりました。
就職してすぐに出産・育休になれば会社としても困るわけですからね。
そして、なんとか就職できても定着できず、何回か転職しているうちに気づけば30代にさしかかろうとしていました。

その時点でもまだ、ここに骨を埋めてもいいという職場に恵まれませんでした。
出産適齢期を過ぎようとしていて、子どもをどうするかについて一番悩んだ時期でした。

何も成し遂げていないのに子どもを持つことへの躊躇

30代に入ってから、ようやく自分の適正に合った職種で、正社員の仕事に就くことができました。

ただ、仕事はそこそこハードで残業もあり、朝は8時に家を出て、帰宅は夜8時頃という生活になりました。
会社の規模も小さく、大企業のように育休を気軽に取れる充実した環境は整っていませんでした。

仕事自体も、30代から新たに始めた職種だったので、もう少し自分で納得できるレベルの仕事ができるまでは頑張りたいという気持ちもありました。
自分の中で、何かを達成したという区切りが欲しかったんだと思います。
それができなかったので、子どもを持つという踏ん切りがつかず、ずるずると先延ばしにしてしまいました。

また、育休が取れないとなると辞めるしか道はなく、このまま出産・育児に入ってしまうと、スキルアップの道が完全に断たれてしまうと思い込んでいました。

若かったこともあり、自分の可能性をできるところまで試してみたいという気持ちが大きかったのだと思います。

育児をする環境が全く整っていなかった

フルタイムの仕事と育児を両立するには、十分な育休期間と、その後のスムーズな保育園への入園、そして親が近くに住んでいて助けてもらえる状態にあることは全て必須になると思います。どれかが1つが欠けているだけでもかなりハードモードになるのではないでしょうか。

私の場合は、保育園の入園の可否については不明でしたが、他の2つが欠けていましたので、両立は無理という結論に達しました。
つまり、子どもを持つのであれば、一旦仕事を辞めなければいけませんでした。

もちろん、これは私の能力では両立が難しかったというだけで、色々な対策を考えたり交渉したりすれば方法がないわけではないと思いますし、仕事をバリバリやって育児と両立している人はいくらでもいると思います。

私は、仕事がハードになると家事はおろそかになり、当時から夫には迷惑をかけっぱなしでした。家事に関しては、どれもまともにできておらず、家の中はめちゃくちゃで常に汚部屋でした。
自分のキャパを十分知っていたからこそ、そこに育児が加わるなんて、全くもって無理ゲーとしか思えませんでした。

元々、子どもは好きではないものの、自分の子どもなら可愛いかも、という程度の気持ちはありましたが、仕事を辞めてどうしても育児をしたいという気持ちにはなかなかなれませんでした。
もう少し先延ばしにしよう、ということを繰り返して時は流れていき、とうとう40代に入ってしまいました。

選択子なしという積極的な意志があったわけではない

このように、ただ、漫然と先延ばしにした結果、子どものいない50代になってしまいました。
もう子どもを持つことに迷うことができる年ではなくなりました。

よく「選択子なし」とかいわれますが、私たちは、それほど子どもがいらないという強い意志があったわけではない気がします。
子どもが全く欲しくなかったわけではないし、仕事と育児を両立できないかと真剣に悩んだ時期もありました。

ただ、1つ言えることは、世間体を気にしたり周りの意見に左右されず、自分がその時々でどうしたいかを最優先にしたということです。
そうしていくうちに、自ずと子どもを持たない生活を続けていくことになりました。

また、子どもを持ち、育児に専念する生活を選べば、私の場合「この子がいなければ、色々な仕事に挑戦できたのに」と子どものせいにしてしまうのが嫌だったというのもありました。
今となっては、仕事では納得のいく成果も何も得られないままリタイアする結果に終わってしまったので、子どもを持つ選択をしたほうが得るものが大きかったかもしれないと思うこともあります。

でも、成果はで出なかったにしても、自分なりに精一杯努力し色々なことに挑戦できましたし、私の中では「やった後悔」になっています。
逆に、もし子どもを持っていたら「やらなかった後悔」になっていたと思います。
ここで、私にとっては子どもを持つ選択をした人生が「やらなかった後悔」になると考えてしまうところで、もう答えが出ていると思います。
つまり、私の場合は、子どもを持つ選択をしたほうが後悔が大きくなった可能性が高いということです。

どちらを選択しても後悔があるとすれば、自分にとってどちらのほうが後悔が大きいかを考えた結果として現在があるというわけです。

不妊治療を経て子どもがいない人との価値観の違いは大きい

このように、消去法的な選択をしてきた上で子どものいない人生になったわけですが、同じ子なしであっても、細かい立場の違いで考え方も大きく違います。

例えば、不妊治療をしても子どもを授からなかった人と私とは子どもに対する思いの深さが全然違うんですよね。

私は以前、アラフォーの頃に、子なし主婦で集まるオフ会のようなものに参加したことがありました。
同じ境遇の人同士なので、楽しい会合になるかと思いきや、全くそうではありませんでした。
というよりも、他の参加者は楽しかったのかもしれませんが、私には合わなかったので、その後は参加しませんでした。
なぜかというと、その会合に集まった人のほとんどが、不妊治療でも授からなかった人や持病があって妊娠できなかった人だったからです。
50代にもなれば、諦めの境地になり前向きになるのかもしれませんが、アラフォーの場合は、まだ執着があったり諦めがつかなかったりする不安定な部分があったのではないかと思います。
そのせいもあってか、会合での会話も地雷を踏まないように気を遣ってばかりで上辺だけの空虚な会話になってしまい、自ずと楽しくない盛り上がらないかんじになってしまっていました。
このような経験からも、子どもが欲しくてもできなかった人と子どもを持たない選択をした人とは、全く考え方が違っていて一括りにはできないということがわかりました。

私の場合は、「選択子なし」といわれる人たちとも違っていて、それほど積極的な意思決定をしていたわけではなく、「消去法的選択子なし」とでもいえるのでしょうか。
ただ、不妊治療を経た子なしの人たちとは確実に大きな隔たりがあり、どちらに近いかといえば選択子なしの方かもしれません。

いずれにしても、自分が生きやすい選択をした結果、自然に現在の生活に行き着きました。
私のように、なりゆきに任せてゆるく選択してきた子なしの人たちというのは、少数派なのかもしれません。

50代の子なし主婦の生活の理想と現実

最初にも書いた通り、現在はリタイア生活に入っていて、半ひきこもり生活を継続中です。

最近、再び柴犬を飼い始め、ほぼ毎日のスポーツジム通いとピアノの練習も加わり、いつもの家事をこなすと、なんやかんやで1日がすごく早く過ぎていきます。
時間の使い方が下手なので、これだけでも結構充実した生活になっています😅

私は本来は働くこと自体は好きな方だと思いますが、一方で、人間関係の構築が苦手で、理不尽なことに耐性がないこと、上司とはほぼ全員とうまくいかなかったことなどから、会社員として組織で働くのに全く適性がないことも自覚しています。

年齢的に再就職が厳しいこと(あったとしても自分の能力ではブラックなところしかない)、上記のような性格から組織に属するのに辟易してきたため、今のところ働く予定はありません。

今、後悔していることは、在職中にもっといろんなことにチャレンジして人脈を作り、リタイア後にフリーで仕事ができるくらいにスキルを上げられなかったことです。
まぁ、後悔というよりも、多分そんなことはそもそも無理だったでしょうけど😅

若い頃に思い描いていた理想とはかけ離れた生活ではありますが、穏やかでストレスフリーな生活を送れていることだけでも恵まれていると思えるようになりました。

ただ、もう少し活気のある生活に変えていかなければと、今は色々と模索中です。

子どものいない人生も悪くない

先ほども書いたように、自分軸で生きやすい人生を選んできた結果として今があると思っています。

私は、家事は何ひとつ満足にできない、子どもが基本的に苦手、マルチタスクが苦手、時間の使い方が超がつくほど下手、と子育てに必要なスキルがことごとく欠落していました。それを自覚していたので、人一倍子どもを持つことに躊躇したのだと思います。

子どもを持つことで得られる貴重な経験や喜びは、何にも代えられないものでしょうし、羨ましくもあります。
でも今では、自分には子どもを持つことで幸せを得る能力がなかったんだと素直に受け入れています。

一方で、子どもがいない生活でのメリットもたくさんあります。

まず、自分のための時間がたっぷりあることです。時間の価値について、今はすごく大きいと感じています。

次に、共働きで効率的にお金を貯められたことです。
その結果、通常より早い年齢で退職して自由を得られました。
もし子どもがいたら、私たち夫婦の少ない稼ぎでは、現時点での貯金はほとんどなかったと思います。

他に、生活スタイルに関していえば、自由度がとても大きいことです。
趣味など好きなことに気兼ねなく没頭でき、家事を最低限やっていれば誰にも文句は言われません。
また、夫婦2人だけなので、思いついた時にすぐ行動に移せます。
旅行やお出かけも、いつでも気軽にできます。

こういう気軽さは、生きていくことそのものの気楽さや安心感にもつながっています。
何かと不安要素の多い今後の社会情勢では、物理的・精神的に身軽であることは大きな防御にもなると思います。

こうしたメリットは、私にとっては何よりも大事なことですので、こうなるべくしてなった人生なのかなと実感しています。

そして、メリットどうこうの前に、私がすごく恵まれていたと思うのは、夫の理解が得られていたことです。
幸いにも、夫も私とほぼ同じ考え方だったので、軋轢が全くありませんでした。
もし夫が子ども好きだったら今のような人生は送れていなかったと思います。

老後の心配を解消するために

子どものいない人にとって、最も大きな心配事の1つは、老後のことではないでしょうか。

子どもがいたとしても、老後に世話をしてもらえる時代ではないとは思いますが、子どもがいないと、どうしても困ることが出てくるのは事実です。

子どもがいないことで、介護など一切の身の回りのことについて自分自身で責任をもたなければいけません
そのために、まずは老後資金をしっかり蓄えておくことは大前提なので、しっかり貯金と投資に励んでいます。

また、子どものいない人の場合、自分が亡くなった後の色々な後始末の心配も加わります。
後始末をする人(他人になる可能性が高い)が困らないように、老後の準備、終活を漏れなくしっかりやっておくことが必須だと思います。
こればかりは、身内に頼る人がいない以上、避けられないこととして受け入れるしかありません。
それができるのは頭がしっかりしている間なので、遅くとも70歳になった頃には終活を開始しようと思っています。

ただ、現在は昔と違って、単身の人や子どものいない人など立場が多様化しているので、それに合った様々なサービスやシステムがたくさん出てきていますし、今後も必ず増えていくと思います。
ですので、あまり心配しすぎる必要はないと思います。

老後のことばかり悩んでも人生が楽しくなくなりますので、今を大事にすることも忘れないようにしようと思っています。

まとめ

リタイア生活に入って、改めて自分の人生を振り返ることが増えたので、今回は子どもを持たなかったことについて書いてみました。

私のように、その時々で悩みながらもゆるく流され、結果として子どもを持たない人生になったという人は少数派かもしれません。
実際に、SNSを見てもあまりそういう人は見かけません。
どうしても子どもが欲しいか、全くいらないかのどちらかで、立場のはっきりした人の方が多い気がします。
まぁ、SNSで発信する人は表現が強めの人が多いから目立つだけなのかもしれませんが…。
その両者では、子どもが全くいらないという人はかなり少数派で、私のようなゆるい感じの人はさらに少ない印象です。
また、そもそも結婚しない人が増えていて、単身で子どものいない人が多いのは当然ですが、結婚していて子どもがいらないという人はすごく少数派です。
ですので、私が書いた内容も、共感してもらえる人はごくわずかかもしれません。

現時点では、私の中で自分の選択に後悔は「ほぼ」ありません。
どんな選択をしようと、少しの後悔はあるものではないでしょうか。
そして、年を重ねるごとに、そういう後悔は少なくなっています。
諦めというとネガティブになりますが、色々な執着を手放せるようになったといったほうがいいかもしれません。
今どう頑張っても得られないものに執着してもしかたないですからね。

子どもを持つべきか迷っている人に、もう子どもを持てなくなった人間からいえることは、自分軸を大事にしていけば将来の後悔は少なくてすむのではないか、ということです。
一番ダメなのは、周りの意見やプレッシャーに惑わされることだと思います。
自分の人生は自分だけのものですし、誰も責任をとってはくれませんからね。

現在、50代も半ばにさしかかろうとしている私ですが、とりあえず不幸ではなく、それなりに楽しく過ごせています😁









-セミリタイア